デューク・カハナモク像

デューク・カハナモク・スタチューDuke Kahanamoku Statue

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伝説のハワイアン・サーファー、デューク・パオア・カハナモクの生誕100年を記念して建立された銅像。

アロハ~!ハワイナビです。
今回はみんな知っているようで知らなかったワイキキビーチのど真ん中に佇む銅像、あまりにも有名なランドマークでもあるデューク・カハナモクについての特集です!!

デューク・カハナモクの生い立ち

デューク・カハナモクは1890年8月24日にハワイ諸島の中のオアフ島で誕生した生粋のハワイアンです。現在のハワイは多数の移民により混血が多く、100%の純粋なハワイ人だけの血を継承する人々も少なくなっていますが、デュークはその100%のハワイ人の血を引く人物。日本人はよく「ハワイアン」というとハワイに住んでいる人の全てを指していう場合が多いですが、正しくは「ハワイアン、ハワイ人」とは何の混血もない100%のハワイ先住民という意味です。
さて、9人兄弟(5人の兄弟、3人の姉妹)、ワイキキで育った彼は幼少時よりアウトリガー・カヌーや水泳に親しみ、次第に誰もが認める「ウォーターマン」となります。彼の母親はいつも息子に対し「決して水を怖れず、可能な限り遠くにまで行ってごらんなさい」と言い聞かせて育てたといいます。
ワイキキのビーチボーイの面々

ワイキキのビーチボーイの面々

年頃になるとデュークは高校を途中でやめて仲間達とホームビーチであるワイキキビーチに毎日いるようになります。彼はこの頃から様々な雑用をこなしわずかながらも収入を得る「ビーチ・ボーイ」となるのです。彼の生涯の仲間となる当時のビーチ・ボーイのメンバーは、後に世界有数のアウトリガー・カヌー・クラブ「フイ・ナル」を結成し、この「フイ・ナル」はアウトリガー・カヌー競技の名門となりまた。(写真、右から4番目がデューク)

ウォーターマン、ビーチボーイ、スイマー、オリンピックメダリスト

1911年にデュークはアマチュアの水泳競技会にて、自由形100ヤードで当時の世界記録を4.6秒も縮める驚異的な記録を出して注目を浴びました。それと同時に220ヤードの世界記録さえも破り、なんとホノルル港の50ヤードレースでは世界タイ記録を出したことで有名です。
翌年、デュークは圧倒的な実力でオリンピック代表の座を手に入れます。この予選会で200メートル自由形で世界記録を更新し、同年の1912年 ストックホルム五輪では100メートル自由形であっさり優勝してしまうほどのスーパースイマーとなっていたのでした。

そして後の各オリンピックでのデュークの功績はさらに更新されます。1920年のアントワープ五輪で100メートル自由形優勝、リレー優勝。1924年のパリ五輪では100メートル自由形準優勝に終わったものの、実弟のサミュエル・カハナモクが銅メダルを獲得し、海を生活の一部としたハワイのウォーターマンの実力を改めて世界に知らしめることなったのでしす。
アメリカの雑誌でもオリンピックの水泳部門金メダルのことや、サーフィンのことを報じたデュークをスーパーマンだと報じています。

アメリカの雑誌でもオリンピックの水泳部門金メダルのことや、サーフィンのことを報じたデュークをスーパーマンだと報じています。

現役引退

記念切手にもなりました

記念切手にもなりました

競技生活を引退したデュークはその後も水泳とサーフィンの振興に力を注ぐとともに、今度は俳優としてハリウッド映画にも数多く出演しました。(デュークを題材とした映画「ザ・ライド」も2003年に製作されました。興味のあるかたは是非ご観覧下さいね!)
引退後は地元ホノルルで保安官になり26年間、ハワイのビーチの治安を守りことに貢献したのです。

デュークとサーフィン

木製のフラットボードを巧みに操り、ワイキキビーチでサーフィンをしているイメージのデュークはもちろん有名ですが、デュークは水泳選手として活躍していたことは知らなかった人も多いはず。でもやっぱり、デュークといえばチャキチャキのハワイのサーファローカル。やっぱりサーファーとしてのデュークのことを知りたいですね!!
それも、彼はサーフィンをアメリカに広め、巨大な影響を後世に与えた人物なのです。
まず、サーフィンというスポーツそのものが再評価されるきっかけとなったのはデュークのおかげ。さらに「デューク・カハナモク・インヴィテーショナル」大会のアイコンとしてサーフィンがプロ・スポーツとなるきっかけとなりました。言わば彼は近代サーフィンのゴッドファーザーなのです。
サーファーとしてのデュークは現代のワールドチャンピオンシップツアー選手のようなアグレッシブなサーフィンではなく、どちらかというと伝統的なハワイのサーフィンの象徴である、コアの木を使った「パパ・ヌイ papa nui」(大きな板という意味)と名付けられた巨大なロングボードを愛用していました。この木製のサーフボードの長さは4.8メートル、重さ52kgもあり、現代のサーフボードに比べかなり重厚なものでした。
ワイキキビーチでの仲間たちとのカジュアルなショット

ワイキキビーチでの仲間たちとのカジュアルなショット

デュークは、水泳競技にて圧倒的な実力を世界に知らしめし、またサーフィンという素晴らしいスポーツの魅力をアメリカに広めました。 そしてアウトリガーカヌー競技の名門「フイ・ナル」の創設において、ハワイの海を通じた文化の偉大さを世界に知らしめたその影響力は計り知れません。
そして1968年1月22日デュークは78歳の時、海を愛したデューク・カハナモクは船の上でその生涯を終えました。

現在は、、、

現在ワイキキのクヒオビーチのど真ん中にあり、観光客にとってもあまりにも有名な、大きなサーフボードを背にして、両手を広げ「ようこそ、ワイキキビーチへ!」と言わんばかりのデューク・カハナモクの等身大の銅像は1990年にこれまでのデュークの功績を称え立てられたものです。デュークの銅像の両手には誰ともいわず観光客が自分がかけていたレイを尊敬の念を示してか毎日のようにかけていくのを見かけます。
そしてこの銅像の前での記念撮影もワイキキでよく見かけるのお決まりの風景です。
また、2015年8月24日には、彼の生誕125周年を記念してあのGoogleがに彼の似顔絵をモチーフとしたスペシャルロゴが作成、使用され、それはここハワイでも大変話題を呼びました。また、デュークの誕生日である8月24日には「デュークス・オーシャンフェスト」というイベントが毎年開催され、彼の愛したワイキキ・ビーチや銅像周辺でパレード、マイル・スイムやウォーターマン・チャレンジなどのイベントが行われています。

デューク・カハナモク邸が売り出しに、、、

2015年11月にオアフ島でも屈指の高級住宅地ダイヤモンドヘッドのロイヤル・サークル(ブラックポイントとカハラの間)に約4000スクエアフィートの4ベッドルーム4.5バスの故デューク・カハナモクの豪邸が売りに出されました。1937年に建てられ、1999年に改装工事をされたこの邸宅はゴージャスというよりはシンプルで趣のあるビーチハウスといった風貌です。場所もビーチまで1分で出ることの出来るビーチフロントという最高のロケーションで、なんと売り出し価格は日本円にして約9億円($8,875000)だそう(高っ)。どなたか購入希望の方はハワイナビにご連絡を~!!:D
デューク・カハナモク邸 写真提供:Hawaii news now デューク・カハナモク邸 写真提供:Hawaii news now

デューク・カハナモク邸 写真提供:Hawaii news now


いかがでしたか?ワイキキのサーフボードを背中に掲げた男性がだれだったのか、どんなヒストリーがあって、あの場所に銅像として設置されることになったのかがわかったところで、ここオアフ島のワイキキビーチに今までよりも親近感が沸いたのでは? ワイキキビーチにお越しの際には是非このことを思い出してデューク・カハナモクの育った場所を感じてみてください!
以上、ハワイナビがお伝えしました。
マハロ!

記事登録日:2009-09-28

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